小栗上野介生誕200周年
小栗上野介の生き様を通じて、
日本人に勇気と誇りをもってもらいたい
「先祖に、江戸時代にアメリカの船でアメリカに行った侍がいる」
私が幼い頃、母から聞いた言葉は幼いながらも「アメリカ」と「侍」という単語がどこか対照的に感じられ、頭の片隅に残り続けていました。
大人になってから先祖 森田岡太郎清行の記録を通して、彼が万延元年遣米使節団の勘定方責任者としてポーハタン号に乗って渡米したこと、隠れた目的であった通貨問題解決のためアメリカ政府と交渉に当たっていたこと、歴史では習わなかった小栗の存在を知りました。
そこに書かれていたのは、「尊王攘夷」ではない真の歴史であり、どのような逆風下にあっても自らの信念を貫いた小栗の力ある言葉は、私の人生を変えてくれました。
また、日本の転換期である幕末に4度の勘定奉行はじめ多岐にわたる役職を務め、日本初の株式会社『兵庫商社』の設立、日本の近代化の原点となった『横須賀製鉄所(造船所)』建設など数々の近代化を推し進めた彼の生き様からは、困難に打ち勝ち新たな価値を創造する勇気をもらいました。
遺された詳細な記録からも、先祖森田は海外で得た知見を日本のために役立てたいという強い想いでいたと思われますが、帰国翌年病死し叶わず、さぞ心残りだったのではないかと想像しています。
それもあり、日本の未来のために一切の私利私欲なく尽くし、非業の死を遂げた小栗の偉業を、その根幹にある日本への想いを、私はもっと知ってもらいたいと思っています。
2027年、小栗上野介生誕200周年を迎えます。
「何のために生きるのか」「どのように生きるべきなのか」指針なきこの不透明な時代だからこそ、彼の生き様は私たちに大切なことを教えてくれると信じています。
発起人代表
一般社団法人 万延元年遣米使節子孫の会理事
堀 早百合
親の病気が、もう治る見込みがないからといって、薬を与えないのは親孝行ではない。たとえ国が滅びても、この身が倒れるまで公事に尽くすのが、真の武士である